異本論 (ちくま文庫)無料ダウンロードkindle
異本論 (ちくま文庫)
によって 外山 滋比古
3.6 5つ星のうち(5人の読者)
異本論 (ちくま文庫)無料ダウンロードkindle - 内容(「BOOK」データベースより)読者とは、著者の意図など考えずに自由な読み方をしていいのである。十人十色の理解。理解されることで表現は変化し、そこに異本が生じる。口承文芸など長い伝承期間を経た物語や歌謡が、具体性・簡潔性を具え古典になるのはそのためである。古典は読者によって誕生する。翻訳、コピー、原形と典型など、異本化作用から、広く表現文化について考えた画期的な本。初の文庫化。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)外山/滋比古 1923年生まれ。東京文理科大学英文科卒業。雑誌『英語青年』編集長を経て、東京教育大学、お茶の水女子大学で教鞭を執る。お茶の水女子大学名誉教授。専攻の英文学に始まり、エディターシップ、思考、日本語論などの分野で、独創的な仕事を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
異本論 (ちくま文庫)の詳細
本のタイトル : 異本論 (ちくま文庫)
作者 : 外山 滋比古
ISBN-10 : 448042749X
発売日 : 2010/7/7
カテゴリ : 本
ファイル名 : 異本論-ちくま文庫.pdf
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以下は、異本論 (ちくま文庫)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
200ページほどの薄さだが、実に示唆に富んだいい本である。私たちはふつう、ある古典作品の「異本」というものを「原典からの逸脱」として忌み嫌う。「作者の意図」という神聖にして不可侵な(それでいて脆く傷つきやすい)価値が、汚され、貶められてしまったのが「異本」なのだと考える。それゆえ、作品研究の理想は「作者の肉筆による自筆本」か、もしくは「少しでも作者の自筆本に近いと思われる伝本」を発見することになる。しかし、ある作品が「古典」と呼ばれるのは、それが多様な異本を生みだし、絶えず無数の読者達によって改変をこうむったからではないのか。たくさんの異本が生まれ、それが時としてオリジナルの価値を乗り越える。荒削りな「原型」でしかなかったものが、普遍性をそなえた「典型」として生まれ変わる。その過程で、オリジナルが異本によって淘汰され、消滅することもあるだろう。だが、このように洗練され、彫琢されてきたものだけが、「古典」と呼ばれるに相応しいのである。逆に言えば、異本が全く生まれないというのは、その作品が読まれなくなり、消え去ることとほぼ同義である。その意味では、原則的に異本を認めない現代の文化状況は「古典」を生まない不毛な時代なのかもしれない。たとえば、「著作権」という概念ひとつとっても、それが「異本」を許容するとは思えないのである。著作権によって保護される「作者」とは、作品に対して絶対的権力を有する「神」のようなものだろう。(もっといえば、著作権が作者の手を離れて第三者の手に渡ってしまった、などというのは絶望的である。その場合作者による改変さえ望むことができない)相変わらず文学研究の領野では原典主義・作者至上主義が幅をきかせているが、本書のような主張がもっと真摯に取り上げられてもよいのではないか。
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